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40代おやじの備忘録ブログ。

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出島和蘭商館跡-in 長崎-

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運転手さん案内のもと40代おやじ(@40oyaji_en)夫婦は、出島(長崎出島オランダ商館跡)を散策。

運転手さん
この出島には、海から引き揚げた大砲・バドミントン伝来之地・ケッペル・シュンベリー記念碑・シーボルト里帰り植物(イロハモミジ)・シーボルト里帰り植物(ナツヅタ)などが飾られたり植えられています。
へぇっ~
運転手さん
ここからは、模型の表門・旧長崎内外クラブ(明治36年)・旧石倉(安政の開国後)・新石倉(慶応元年)・地番境石・時鐘・用水池があった場所・礼拝筆者蘭人部屋(蘭学館)・三番蔵・オランダ商館長(カピタン)部屋の建物・大砲・オランダ商館長(カピタン)部屋(和室)・オランダ商館長(カピタン)部屋の想像絵が復元されています。
運転手さん
当時の出島には毎年、オランダ船が7~8月ごろ来航し、その年の11~12月に帰路につくまでの3~6ヶ月の滞在していたとのことです。船が停泊していると期間には多くのオランダ人が滞在していました。それ以外の期間は商館長(カピタン)、次席商館長(ヘトル)、倉庫長、書記役(1~3人)、商館医、商館長の補助員数人、調理師、大工、召使(黒人)など15人前後の人が住んでいました。翌年夏にオランダ船が入港するまでの間には、貿易に関する仕事や江戸参府などを行っていました。
運転手さん
オランダ商館長(カピタン)部屋の建物になります。中に入って見ましょう。
うぁ~やっぱり!外人さんはベットなんや!
畳の上にベットやで!考えられんな!
40代おやじ
今でこそフローリングにベットって普通やけど、学生時代の友達んちで畳の上にベットってやついなかったか?
おった!おった!あっ・・実家のうちの部屋もそうやったわ!
40代おやじ
やったら、そんなに驚くこともないやろ
運転手さん
ベットはインドネシアなどから輸入などもしていましたが、日本人の大工さんが作られていたとも言われています。
へぇ~。運転手さん!この建物は当時のものですか?
運転手さん
いいえ。今、見てきた中でいくつかの建築物は古いものは当時のままのものもありますが、この建物は、その当時に描かれた絵や資料を参考に復元された建物になります。
おった!おった!あっ・・実家のうちの部屋もそうやったわ!
運転手さん
お疲れ様でした。少し駐車場からは距離がありますがせっかくなので歩いていきますね。
へぇっ~(自分から聞いておきながら予想と違った答えだったので興味を無くした返事)。なぁ。なぁ。あんた知ってた?
40代おやじ
(この唐突な質問??何について知ってたか聞きたいのかわからず確認する)なにについて知ってたって聞いてるの?
出島。ここのこと
40代おやじ
(単語で質問の答えを返す時は、退屈してるか。疲れてきた時です。)あぁ。出島の中がこうして色々な見る場所があることは知らんかったな。てか?歩き疲れたんやろ
ふぅ~ん。疲れたわ
運転手さん
そうでしょうね。朝からあっちに行ったり来たりで。出島はここで終わりですので車に戻りましょうか?
はい!

出島オランダ商館

長崎港内に築かれた人工島の出島は、面積3,969坪で4区画に分かれ、オランダ人、日本の諸役人、通詞の家や倉庫など65棟が建っていた。

出島に滞在するオランダ人は商館長(カピタン)、次席(ヘトル)、荷倉役、筆者、外科医、台所役、大工、鍛冶など9人から12-13人で、自由だった平戸とは違い「国立の牢獄」と呼ぶほど不自由な生活を送っていた。商館長は年に1回(のち5年に1回)江戸に参府し、将軍に謁見した。滞在した社員にはドゥーフ(館長)、ツンベルク(船医)、シーボルト(医員)、ケンペル(医員)、ティチィング(館長)らがあった。

オランダ商館は長崎奉行の管轄下に置かれ、長崎町年寄の下の乙名がオランダ人と直接交渉した。出島乙名は島内に居住し、オランダ人の監視、輸出品の荷揚げ、積出し、代金決済、出島の出入り、オランダ人の日用品購買の監督を行った。

乙名の下には組頭、筆者、小使など40人の日本人がいた。通詞は140人以上いた。出島商館への出入りは一般には禁止されていたが長崎奉行所役人、長崎町年寄、オランダ通詞、出島乙名、組頭、日行使、五箇所宿老、出島町人は公用の場合に限り出入りを許された。

1856年に出島解放令が出され、出入りは全く自由となった。1858年、日蘭通商条約の成立により商館長は外交代表に任命され、1860年には商館はオランダ総領事館を兼ね、商館長は総領事となった。

出島のオランダ商館には、江戸初期から幕末に至る230年余りの出来事などを記した『オランダ商館日記』が保存されていた。
なお、1793年にオランダ(ネーデルラント連邦共和国)がフランス革命軍に占領されて滅亡してから1815年にオランダ(ネーデルラント王国)が建国するに至るまでの22年間、オランダの領土はこの地球上に存在していない。そのため、1797年にオランダ東インド会社と傭船契約を結んだアメリカの船が出島に入港するようになり、1799年にオランダ東インド会社が解散してもなお、アメリカの船は1809年まで出島に入港して貿易を行った。



僕の名前は織田縁です

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