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おヒョイさん死去

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おはようございます、40代おやじ(@40oyaji_en)です。

「おヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優、声優、タレント、振付師の藤村俊二さんが2017年1月25日、心不全のため入院先の病院で死去した。82歳。葬儀は近親者で行われたが、故人が生前中に願っていたお別れ会形式で「献花の会」を2月14日正午から、東京都渋谷区神宮前6の25の12の慈雲山長泉寺で開く。喪主は長男亜実さん。

2015年12月に体調不良のため「ぶらり途中下車の旅」(日本テレビ系)のナレーションを降板。療養生活を送っていた。

軽妙でとぼけた味がお茶の間に人気で、フジテレビ「なるほどザ・ワールド」、日本テレビ「ゲバゲバ90分」、TBS「ぴったしカン・カン」など、バラエティーやクイズ番組に引っ張りだこ。

生い立ち

実父は東京・有楽町の映画館スバル座やオリオン座などを所有するスバル興業の社長。6人兄弟。藤村さんは小学校から高校まで暁星学園で学び、演出家を目指して早稲田大学第1文学部演劇学科に入学したものの中退。東宝芸能学校舞踊科に入り直した。

日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧したが、あまりのレベルの高さに自らの限界を痛感して舞踊家の道を断念。パントマイムに魅了されパントマイムスキルを取得し帰国後、振付師に転向。

1967年に放映されたレナウンのCM「イエイエ」などの振り付けを担当。

1969年から放映されたザ・ドリフターズの大人気番組「8時だョ!全員集合」では民謡「北海盆唄」をアレンジしたオープニング「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」を振り付けた。同番組ではエキストラとしての出演も求められたが、これが嫌で「ひょい」と逃げたことから「おヒョイ」のあだ名がついたとされる。

幼少期

兄と自宅で障子を破るほどの大げんかをするも実母は叱ることもなく優しく「疲れたでしょうお茶にしましょう」と声をかけた。

高校時代

毎日、芸者遊びをしていた藤村さんはお金がなくなると実家にあった父の高級な品々を質屋に入れて遊んでいたが、ついに父にバレてしまい藤村さん叱られるのを覚悟していたが、父のひとことは「俊二!お前はよく高いものから売ったな」との本人も拍子抜けするひとことをもらったらしい。その後、藤村さんは芸者遊びをすることを辞め。学業に専念し早稲田大学第1文学部演劇学科に入学。

晩年期

あるTV番組の対談で、65歳まで貯金通帳を持っていなかった藤村さんは自身が亡くなった後に使うお金として貯金を始めたと話されていました。

司会者が死んだらお金はご本人が使うことができませんがどのような「お別れ会」をご希望なのですか?また、どのような方々に来てもらうのですか?の質問に藤村さんは、いつものように「知りません」「私死んでますから」と司会者の質問を軽くかわしていました。

ご冥福をお祈りします

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